映画の会をスタートして一年た経ちますが、様々な出会いを通して学んだことがあります。何と言ってもその一つは、人は変えられない、ということです。
誤解を避けるために補足しますが、人間が変わるためには取引に応じなければいけません。何かが欲しければ代わりに何かを差出せ。その何かが欲しければ自分から与えるしかありませんから、自ら行動を変えることを選ぶ、というわけです。ところが、世の中そう簡単ではありません。取引に応じようとしない人はとても多いです。
大笑映画の会、ならびに映画塾の活動の根幹には「地域貢献」があります。「地域」とは参加者のことでもあり、彼らにもらうのではなく、与えること。しかし、与え続けてばかりでは、どうしてもバランスがとれなくなります。特に、もらうことしか考えてないような人にとっては格好のたかり場となってしまい、本当の意味で会の発展を支える人材は育ちません。例えば、映画塾にとっての利益の一つは、参加者が真剣に映画制作を学び、知識と技術を高めることですが、そもそも講習に参加しなかったり、進んで自習・復習をしなかったり、やりたい小技だけ取り入れてあとは何も覚えていなかったりと、どうしても趣味の映画作りの域を出ない方が多くいらっしゃいました。
創立の時点で、入塾に際してはある程度誰でも入れるようにし、継続には一転厳しい条件を採用しています。入るのは簡単だが卒業するのは難しいと言われるアメリカの大学のような映画塾です。しかし、あまりに厳しくてはついてこれる人がいなくなります。特に、勉強の仕方、継続的に計画性を持って学ぶ習慣というのは、限られた人にしかない能力です。創立当初は、与えることと与えさせることへのバランスがなかなか取れず、与えてばかりで、あまりやる気のない参加者にも大きなリソースを用いては結局来なくなったりと、なかなか悩ましい時期が続きました。一時期は、「与え続ければ変わってくれるのではないか」という思いのもと、奉仕していましたが、やはり先の言葉通り、与えるばかりでは取引は成立せず、相手が変わる理由がないのです。
そんな中、並外れた成果を残した人材もいました。創立当初に参加した一人目の塾生です。参加当初から基礎学力の違いを見せつけ、インプットとアウトプットのバランスが抜きん出ていました。講習への参加も安定しており、遠地に住んではいましたが、毎回参加しました。自宅でも復習しているであろうことが伺え、こちらが毎回出していた用語集のテンプレートを作れないことがあると、非常に不服そうな表情をしたのがとても印象的でした。
その彼女が他と何が違うのかを考えてみたのです。彼女は自分が何を欲しているのか知っており、そのためには映画塾に何を与えなければならないのかも知っていました。すなわち、真剣に映画を学ぶことです。初めからその取引の条件を完全に理解していたのですね。残念ながら、大学やサークルでの活動を優先する形で一年で会を去ってしまいましたが、彼女が会に残してくれたものはとても大きかったと言えます。
今のコロナ禍においても顕在化していますが、何かをもらうのが当たり前だ、と思っている人は少なくありません。特に日本に住む私たちのほとんどは(昭和後期以降生まれ)、与えられるだけの恵まれた子供時代を過ごしており、大人になってからもそれが当たり前だという意識からなかなか脱却できません。何かが欲しければ何かを与える、といった等価交換にはビジネスマン並みに神経を尖らせますが、その一方で、何もかもを損得で考えてしまいがちです。その最もたるものはお金でしょうか。かたや、必要なことはなぜか他人がすべてやってくれると信じ込んでいる依存的性質も蔓延しており、自ら行動せず、失敗の責任を他人に押し付ける傾向もやはり顕著です。当の私自身は、率先して行動を起こして自らの失敗を認めてきた一方で、取引における損得にはやはり敏感でした。なかなか与えるという行動が理解できず、長い時間がすぎた。
そういった、もらうばかりの意識を変えたのは、一つに、旅を通じて垣間見た古い日本のあり方です。どこかの誰かが、何の得にもならないようなことをして、何処かの誰かの人生を豊かにしている。小さなことではあっても、例えば、旅路の山道は今も人が行き来できるように整備されているし、旅人のための座台が設けられ、各地の祠や地蔵には今も草花がそえられ、人のいない神社にも手入れがなされている。世界というのは、結局、誰かが誰かのために生きているわけですが、利益重視のいまの世の中の仕組み、考え方の中では、そういった当たり前の真実は普段なかなか見えづらく、そして、ゆっくり気がつかないうちに、確実に消え去って行っています。
大笑映画の会はその活動の指針に地域貢献を掲げ、自分たちが住む場所とその人々のために何ができるかを考えています。