大きなスクリーンは最高だった件

こんにちは。大笑映画の会の松村です。2021124日(日)、第一回映画の「真夜中の配達アプリ」の関係者のみの試写会を催しました。会場は東大阪文化創造館の小ホールです。施設は新しく、大変広い空間なのですが、こちらを思い切ってお借りすることにしました。というのも私が東大阪市民で利用料が安かったからなのですが スクリーンサイズは300インチ(らしい)、音響システムも素晴らしく(担当オペレーターが常駐)、まさしく映画館で映画をみるのと同じ環境でした。そして感想は

想像していたよりもはるかに素晴らしい映画体験だった

です。いくら安いといっても、結構な予算は吹っ飛びます。このような不相応な施設を使ってまで、なぜ”映画館”で第一回映画の試写会を催したのかといえば、それは私自身、映画館が好きじゃないからです。…言ってることが矛盾しているようですが、映画館が嫌いな理由は、リラックスできないからです。

《下に続く》

"To tell you the truth of it, child, you're astounding."

The Queen's Gambit

最後にいついったかな。映画館‥

映画は映画館で見たい」と思う人はどれくらいいるでしょうか。今の時代、スマホでも映画は見れるし、パソコンのモニターでも映画は見れます。家に帰れば大きなテレビ画面でも映画を見ることができる。かつて、映画の会でアンケートを取った時、映画館によく行く人はおらず(母体数10数名)、最近いつ映画館へ行ったか、という質問にもほぼ全員が即答できませんでした。映画の会なので、みんなある程度映画は好きなはずなんですけど、誰も映画館に好んで行っていない笑

私個人としては、80年に生まれ、10代は丸々90年代です。日本映画(実写)にとって90年代といえば、多分暗黒の時代です。当時、映画といえば洋画が主流でした。アニメーションによる映画は徐々にその地位を高めていましたが、それと引き換えか実写の日本映画はどんどん影が薄くなっていった時でもあると思います。今振り返っても、私にとって「映画イコール洋画」だったのは、何も個人の好みによるところではなく、時代がそうだったからだといえるかもしれません。ところで当時、洋画をどんな媒体で見ていたかというと、映画館ではありません。テレビです。金曜ロードショーを始め、夜の9時から映画が放送される枠があり、映画との出会いはもっぱらテレビでした。子ども時代に初めて見た宮崎駿監督映画も金曜ロードショーが最初です(「天空の城ラピュタ」)。空から女の子が降ってくるあれですね。夜の9時からアニメが放送されていることからしてすでに異質でした。

映画館の数はその全盛時代からどんどん数を減らして、底をついたくらいの時だったと思いますので、映画館に行くだけで片道1時間以上かかるといったケースは全国規模で多発していたはずです。当時の私にとっても、映画はテレビで見るもんでした。そのテレビが、21世紀に入ってまもなく、パソコンのモニターに入れ替わりました。さらに2010年代以降はネットで映画が見れる時代が到来します。家庭での映画の視聴環境も贅沢になり、テレビ画面は何十インチと巨大になったし、プロジェクターも手頃な値段で手に入るので、少し思い切れば100インチ以上のスクリーンを家庭で楽しむことができます。もう少し予算を割けば適当なサウンドシステムも使えるでしょう。ここまでくると、いよいよ、映画館で映画を見る利点がわからない。今も昔もそれは同じなのですから、私個人の映画体験にとって、映画館という媒体がほぼ欠落してしまっているのです。

《下に続く》

直近の映画館体験は「パラサイト」

映画館に行く利点がわからないとは言っても、全く行かないわけではありません。滅多にしか行かないのは確かですが、例えば去年(令和二年)のいつかに、当時話題になっていた「パラサイト」(韓国映画)を布施ラインシネマに見にいったことがありました。滅多に映画館に行かない人を行きたいと思わせる力があるのですから、それは相当なものです。プロモーションチームが的確に働いていたということでしょうか。布施ラインシネマはその時閉館がすでに決まっており、私が訪れた日は満員の盛況でした。前売券は買っておらず、一人だったので、割り当てられた席は最前列のど真ん中です。映画は面白かったか? 確かに、面白かったのですが、その時の私は苦しさの方が先行していました。それというのは、私が映画館が好きじゃない理由そのものでもあったのです。それは、

リラックスして映画を見れない

ということです。最前列のど真ん中の席で、上映中はほぼずっと真上を見上げるような姿勢を強いられていました。首が痛くなって、しょっちゅう姿勢を変えなければいけません。きしむ座席がキイキイ音を立てては、周囲に迷惑にならないか心配します。しょっちゅう体勢を変えなければならず、後ろの人にも気を使いました。

リラックスできないもう一つの理由は、すぐ左右前後に人がいることです。人気の映画を休日に一人で予約なしに映画館に観に行くと、必ずと言っていいほどいい席は埋まっています。お客さんの大体はカップルやグループで来ていますから、予約席の状況は、連席の間に一席ぽつぽつと空いている感じです。そこに座るのを良しとするなら問題ありませんが、私はそれが嫌なんですね。

そういうわけで、私の直近の映画館体験すら、どちらかというとあまり良いものではありませんでした。とはいえ、映画館ってどこでも大体そういうもんじゃないかと思うわけです。このこと自体は少なからず多くの人が抱く映画館の不利な点であり、熱心なファンはそれを回避するために以下のような対策を行っているようです。

  • 空いている日の空いている時間帯を狙う。または空いてる映画館を狙う
  • 席を早いうちに予約する。先に一つ席が埋まっていれば、マナーなのかなんなのか、後から予約する人は一席スペースを空けて予約するから

しかし、私はそれほど熱心な映画館のファンではありません。そもそも映画を見るためだけに街に出ることなんて皆無です。たまたま街にいる時に気分がのれば映画館に行き、どんな映画が上映されているのか見て、数秒~1分くらいでどれを見るか決めて、チケットを買います。ロビーにたくさん人がいれば即座に映画館を出ることもあります。その程度です。上記のような対策を行ってまでわざわざ映画館に行こうとは思わない。なぜかといえば、これが家なら、ソファかベッドに好きな姿勢で寝そべってリラックスして映画を見ることができるからです。映画館鑑賞の技術的な利点は明白で、それは巨大なスクリーンと優れたサウンドシステムですが、先述のように、最近はテレビ画面も巨大化し、似たような価格帯でプロジェクタや100インチ以上のスクリーンを家庭で楽しむことができます。映画館の巨大なスクリーンと言われても、正直何の魅力も感じない。だから何なの? と思ってしまう。サウンド? 「映画を聞いてきたっていうか? 見て来たっていうだろ!」とUSCの元教授が言っていますが、音がいいと言われても普通あまりピンとこないでしょう。スクリーンとサウンドといった利点では、映画館で映画を見ることの不快を相殺することはできないわけです。そして、家庭での視聴環境が向上していく中、その差は開く一方です。

映画の作り手としての映画館

と、ここまではあくまで、80年代に生まれ、これまでの人生、映画館とはほぼ無縁だった一個人としての素直な感想です。エンターテイメントは世に溢れているわけで、わざわざ映画館に行く義理もないですし、一般的な消費者と同じように、私も好き嫌いで物事を決めます。

では、その一方で、映画を作る側として、映画館での映画鑑賞はどのように評価しているのでしょうか。いや、まあ、もう白状しましょう。すでにお分かりかとは思いますが、見る側の時と全く同じです。

映画館の何がいいのかまるでわからん!

です。

しかし、しかしですよ。

映画のコアなファンは、映画館が大好きですね。コアなファンでなくとも、映画館が好きだという人はたくさんいます。特に、私よりも年代が上の方たちは(60年代前後以前生)、見る側も作る側も、映画館鑑賞に大きな価値を見い出している人が少なくないと思います。つい先日も、アメリカのクリストファー・ノーラン監督が、コロナ禍で危機に瀕している映画館について熱く語った記事を読んだばかりです。どうしてここまでと思う反面、そこまでして映画館を愛する理由を知りたいと思うのは、作り手として当然の好奇心かと思います。ですから、映画館で第一回映画「真夜中の配達アプリ」を上映したいと思った理由は、

映画館の良さを知りたかったから

となります。

ただ単に、大きなスクリーンで、良いサウンドシステムで、といった技術的な謳い文句では、先の通り、私自身が見る側として抱いていた映画館の不快を相殺することはできません。そう言った意味では、今回、先に挙げたリラックスできない理由のすべてが取り払われたことになります。

  • 好きな席に座れない ⇨ 好きな席に座れる
  • 前後左右に人がいる ⇨ 600名収容の会場を20人弱で利用。前後左右に人いない。

このような映画体験は、特に、映画館にあまり行かないといった塾生や、一部の関係者にとっても、大変貴重な機会だったと思います。映画館に対する偏見ばかりでは得るものはありません。ありとあらゆる刺激をそのまま受容できるように、何も考えず、自分たちが作った映画を自由に、映画館で見られる機会です。そして、そのことを理解できるかできないかで、未来の映画人生は大きく変わるかもしれません。

さて、関係者との約束を守るために催した試写会ではありますが、上映の為の映像・音響チェックの最中、とあるアイデアが思い浮かびました。例のリラックスできない二つの理由ですが、さらに緩和できることに気がついたのです。

  • 好きな席に座れる⇨上映中は、歩き回って構わない。スクリーンのすぐちかくまで行くことも、自由にできる。
  • 600名収容の会場を20人弱で利用。前後左右に人いない。⇨一人でみてみる

主催者の特権を武器に? 開場前の時間を使って、自分の好きな映画の一場面を流してみました。感想はもう、言葉にならない。。映し出されるモンタージュがあまりに鮮烈。興奮さめやらぬまま舞台にあがり、スクリーンのすぐそばまで行って映画を見上げました。これはすばらしい。なんならもっといろいろなことを試せばよかったと思いました。例えば映画のスクリーンでプレステをするとか。他の好きな映像を見てみるとか。

視覚言語としては、スクリーンのサイズが変わればストーリーの伝わり方が変わるのは当然です。スマホで映画が見れるようになる一方で、家庭のテレビは巨大化し、画面サイズの二極化が顕著になった時、はたしてシネマトグラフィをどのようにデザインするかは多くの映画作家たちにとって大きな課題の一つになりました。そう言った映画言語としての純粋な意味においては、大きなスクリーンで、優れたサウンドシステムで映画を見る経験は、テレビやパソコン、スマホのモニターで映画を見る体験とは明確に区別されるものです。そして、同じ映像は何回も見ているのに、今回が一番感動したことを鑑みれば、映画館での映画体験はその他の媒体に比べてより優れたもの、といえるかもしれません。

まあ、問題はどうやって例のリラックスできないシチュエーションを緩和するかですが。。最近は座席の間を空けたりしてお客さんも少ないようなので、もしかしたらコロナ前とは違った映画体験ができるかもしれませんね。でも。映画って高えよな。見初めて面白くなかったら映画代と交通費と時間が無駄になるよな。ここはやっぱりネトフリにしとこうかな・・(振り出しに戻る)