会創設3年目の最後に、非公式ではあるが三つ目の作品を制作完了しつつある。ということでまだ完成はしていないが、先は見えたことと、この後おそらく先方都合でPカットとDカットに分かれ、Pカットのみが公式公開となる可能性を踏まえて、今の時点でレビューを行っておこうと思い立った。レビューの対象はDカット、いわゆるディレクターズカットである。

前回の2021年7月版の忘備録同題については、物語映画であり、今回はドキュメンタリー仕様であることから勝手は違う。前回は特に撮影照明に関するレビューが多かった。勝手は違えど共通項は多く、異なる観点から見つつ敢えて同一指標にまとめこむ。各要素のレベルをあげるにはこの際どうすれば良いか、考察する。具体的な評点は映画塾内でのみ共有、以下は何流か、前より上か下かを記した。

撮影照明

より発展的な段階で大きな成長があったものの、基礎的な部分で荒さが残り、伸び悩んだ。二流に近い三流止まり。評価点自体はこれまでで最高だった。

撮影照明の決め事は別記事にて書いている。これによりモンタージュの全体的な印象を方向づけることに成功している。プリプロ段階からどのような絵作りを行うかすでに決めていたことも評価に組み込んだ。グレーディングはかなりあっさり終わっている。(言い換えると前作まではポスプロで最終的なルックを決めたので、時間がかかった)。

撮影時は作業を極力単純化することに務めた。基礎的な部分での荒さというのは、フォーカスと露出である。ホワイトバランスは全て5500の固定で、これは特に問題にはならなかった。前半はフォーカスをオートに頼っていた。Zhiyunの古いギンバルを使用しており、マニュアルフォーカスは直接手でフォーカスリングを操作しなければならず、それがあまりに面倒なので、オートにした。焦点がゆらゆら揺れるであろうことは想定していたものの、120fpsのスローで撮影していたので、ほんの短尺だけ使える箇所があれば良いという目論見ではあった。が、その分編集でゆらゆら揺れてないかいちいち凝視して確認する作業が必要であり(特に背景)、思ったよりもかなりフォーカスが遊んでいる箇所がかなりあったので、気が滅入った。本編にはわかりにくくなってはいるが、遊んでいる絵をいくつか使用している。後半はDJIのRS2に変更。少なくともフォーカスをギンバル側で調整できるようになったためこの問題は解決した。露出については、a7SIIの液晶(LUTプレビュー付)とヒストグラムでもっぱら確認していたものの、正直もう少し大きなモニターでやった方がいいと思う。これはフォーカスにも言えることで、結局拡大して合わせたいところをよく見る作業が必要だった。物語映画の場合は撮影助手がフォーカスを操作できるように装備が必要なことを前回の忘備録には書いていたが、この規模のドキュメンタリーだとそれは必要ないかなと思う。

ギンバルの扱いも荒かった。長年使用してきた古いギンバルが撮影中に動作不良になる(どいうかバッテリーの老化か)というアクシデントがあり、全日程の半日くらいは手持ちで撮影している。もちろんかなり揺れており、ポスプロでなんとか修正したものの、こんなことは無い方がいいに決まっている。ちなみにギンバルを新しいのに変えて以降、旧式とはかけ離れた性能に衝撃を受けた。こんなことなら最初から用意しておけばよかったと思った。a7SIIの絵をリモートで飛ばすやり方は期間中成功しなかった。

光のコントロールについては、よくできた箇所とできなかった箇所があった。ただし、これはサブジェクトがどれくらい撮影に献身してくれるかという条件によるところも大きい。相手が急いでいたり、高齢者だったりすると結構気を使った。助手はほぼ素人であり、こちらが疲れ始めると指示しなくなるので、絵作りが結構雑になっていった。こちらが指示しなくても自主的に動けるクルーは今回のプロジェクトには都合で参加できなかった。

基礎的な部分で荒さがあるのは、前作とほぼ変わらず。逆に基礎をきっちりと固めれば二流には乗ると予想している。肝要なのはやっぱり露出とフォーカス。

編集

今回の編集は前回よりも一点高く、第一回作品よりも一点低い、これも二流に近い三流だった。前回よりも上った理由は新しい編集のワークフローを試して、それが功を奏した(と思う)から。

原則として、今回の映像は一まとまりのモンタージュであるという前提がまずあった。映し出す映像とその順番により、伝わる意味が変わるのであれば、映し出す映像の種類をまず決めるべきである。種類をショットカテゴリとすると、各エピソード11、2種類のカテゴリを撮影した。インタビューの映像、スピーカーの日常、職人の作業、商品、食材カットのモチーフ、ドローン等である。これを組み合わせてチャンプルーしたらどんな意味が伝わるのか、という話。

今回はドキュメンタリー仕様で、フッテージのほとんどが約120fpsで撮影され、最大で約24fpsの5倍スローモーションにすることを想定している。今回編集を前に直面した最大の問題は、スローモーションで使うアクションの尺が一定ではないことだった。リアルタイムでは5秒で撮影したアクションは再生しても5秒だが、スローモーションの場合は通常速度よりも遅ければ何でもスローモーションになる。このせいで、物語映画なら普通、使うアクションの開始と終わりを決めてタイムラインに入れれば自然と尺がまあ決まり、それより長くしたり短くしたりする必要があればどっか適当な箇所を探して調整するという段取りが使えるのに、今回はそれができなかった、使うクリップの尺が決まらないという大問題にぶち当たる。最初からスローモーションは全部5倍で使うと決めてかかればよかったような気もするが、何故かしっくりこず、一晩悩んだ結果、次の方法を思いついた。

サンプルにしている作品(外車のメーカーがNYの写真家を特集した傑作シリーズ、勝てる訳ないヤツ)がショットをいくつ使っているか調べ、尺に比例して同様のペースでショットを使うことにする→各エピソードのショットの数が決まる

構成はすでに決まっているため、各構成や先に当てはめたインタビューの合間は機械的にパターンとして3秒、6秒、9秒の間隔をいくつか作り、それをまあインタビューの流れを考慮しつつも結局はぶっちゃけランダムに当てていく。各幕でのショットのスピードは速いと遅いを交互に繰り返す→各幕で使うショットの数が決まる

最後にショットの尺を規則的に前もって決める。例えば、4分尺の映像で110ショットの使うのであれば、1ショットあたりの平均尺がでる。それを念頭にその都度アクションを抽出してタイムラインに並べていくと、おそらくクリップの尺の分布はベルカーブのようになり、平均尺に近いクリップが最も多く、そこから長く、または短くなるに連れて数が減っていく。この自然分布みたいなクリップの尺の割り当てを意図的に変更したかった。そこで、多少平らな高台、台形のような分布にするため、クリップの尺を調整。最短は8コマ、最長は忘れたが6秒くらいにして、最初からタイムラインで使う110ショットなら110ショットの各尺を先に決めてしまう(イントロとアウトロの長尺ショット以外)。あとはあらかじめ抽出しておいた各アクションが最もわかりやすく伝わりそうな尺に各クリップを振り分けていく。基本的には情報が多ければ長く、情報が少なければ尺は短くても良いという判断基準になる。

その前後には、ショットカテゴリによって時系列にストーリーが進むものと進まないものがあり、それらを念頭において、各幕で使用するショットの種類を変える。その他、連続したショットで共通のアクションを伝えるグループをいくつか作ったりして便宜、インタビュー内容にある程度合うようにタイムラインに配置していった。今回の編集では隣り合うショット同士の関係性について、そのグループ以外ではあまり考慮していない。

同様のドキュメンタリーではショット同士にもう少し関連性を持たせることができれば多少の改善は可能と思う。また、どのアクションがどの尺でわかりやすく伝わるか、の判断は完全に感覚に任せたので、人によってはカットが早すぎると感じるはずである。それもスタイルの内と見過ごしてくれれば良いが、あまりに早すぎると流石に修正が必要になるだろう。この点、字幕をつけた後のカットの早さには絶望しかなかった。字幕をつけて映像がよくなるわけが無いのである。このレビューは全て字幕なし版について書いている。字幕付け作業は苦痛だった。なぜ長い時間をかけて編集しているのかといえば、それは作品を少しでもよくするためである。なのに、字幕付けに費やす時間は、1秒1秒の全てが作品を悪くするために使われている。不毛と感じるのは無理もない。字幕付けは他の人にやってもらう方がいいなと今回思った。

音声

音声は二流に近い三流。正直、サウンドデザイナーなしではここら辺が限界ではないかと薄々感じている。ある程度のレベルにはあるものの、他の要素に比べて最も伸び代が少ない、というかほぼないと言えるのが現状である。

今回の音声点が前回よりも上がった主な理由は音楽の扱いによる。記憶にある限り、2000年一桁代後半以降、映像に使える音楽または音がインターネットで広く共有されるようになった。最初はクリエイティブ・コモンズで商業不可、クレジット必要、オンラインはいいが映画はだめ、テレビはいいがあーだコーダ、とかいう、使用条件が細かくて分かりにくい時代がしばらく続いたが、2010年代中後半以降、徐々に制限が緩和され、2020年代前後に至ってはサブスクで音が無制限に使えるという時代に入った。昔に比べて使用条件は緩和されたが、無条件という訳でもなく、各サブスクサイトと音楽家との契約条件を比較したブログがあり、それによれば、使用者側によって完璧に安全と言える代物は厳密には存在しないという結論らしいが(危険というのは、映画の中に使ったただの一音が理由で配給に制限がかかるのをプロデューサーとしては最も嫌う。それをウィルスという)、その点を頭に置いておく限りは、今はとてもいい時代になったと言って良い。この先音を供給する音楽家とそれを求める側のバランスが如何に変わっていくかは分からないが、兎角、これまでオンラインで手に入る音の使用権利に合わせてそれらを使ってきた映像作家としての感想を書いている。

初級のうちは、映像の尺が3分なら3分の一曲、5分なら5分の雰囲気にあった一曲を何とか探し出して(めちゃ時間がかかる、他の人とめっちゃかぶる曲を選んじゃう)使うことになる。少し進むと30秒の映像に5分の曲の一部を使ったりする小技を覚える。色々試して見てかれこれ10年くらい経つけれども、結局、映像を先に作ってからそれにあう音楽を探す場合、適当なのが見つかる可能性は限りなくゼロに近いと思う。音楽はもともと固有の構成がありストーリーがあるので、音楽家のほとんどは自曲で独立したストーリーを語りたがる。芸術家としてのプライドがあるからである。しかしながら、映像に合わせる音楽は、それだけで独立したストーリーを語ってしまうと危険である(MVは勝手が違う、音楽が先にできて映像がそれに伴随する)。映像作品における音楽はあくまで映像に伴随しなければならない訳だ。それに気が付いた一部の優秀な音楽家はdroneやambient、atmosphereと言ったジャンルの、効果音とも音楽ともつかない音を作り始めている。それとて、既に固定してしまった映像に完全にマッチするかといえばそんな訳はなく、結局言えるのは、オリジナルの音楽を使える予算がない場合、既に制作された曲を丸ごとそのまま絵に当てはめるのは不可能である、ということである。じゃあ、どうしてるの、ということだが。

作曲の知識も特にないことはここで断っておくが、そんな時に試して見たのが一つの作品の中で複数の曲を用いるというものである。構成により、異なる時間または幕に違う曲を使うことも一案だが、今回試したのは同時に使うやつ、ミックス。多い時には同時に5つの曲をかぶせたり、曲の一部を分割して要所で使い分けたりしている。テンポもコードも?違う曲をどうやって、と言った感じだが、かぶせる種類としては簡単に以下のようにした。

  1. 低い音主体の基礎音楽、長尺
  2. 高い音主体の基礎音楽、長尺
  3. 拍子やテンポを明確に示す音楽、短尺
  4. 構成上要所で感情の抑揚を助ける音、分割
  5. ある程度明確なメロディーを持つ音楽、分割

使う曲の種類は先に述べたとおりそれ単体ではあまり特徴のない、メロディーというメロディのほぼない曲ばかりである。音楽が本来伝える、感覚に直接訴えかけるような刺激は映像(光と編集)で伝える。音楽はその映像の刺激に付随するだけ。基礎音楽はタイムラインに結構長いこと敷いておき、要所で切ったりボリュームを下げたり上げたりする。この類の曲はテンポが分かりにくいので、適当に合わせても気にならないことが多い気がする。音の高さ、あるいはピッチはかなり分かりやすいので、選曲時点で上の通り明確に分けておく。

拍子を明確に伝える音は、演奏ではドラムとかであるが、droneやambientの世界ではその音を聞いただけでは何の楽器かわからない音を使うのが理想的。存在感を消して欲しくて人間の意識に引っかかって欲しくないからだが。ここで使うのがサブベースとか低い繰り返しの電子音(electric)である。だが、この音の種類と数が今日の時点でもかなり少ない笑。だから探すのに苦労した。テンポ自体はPremiere Proでも簡単に調整できるのである程度問題ないが、問題はピッチ。ちゃんと音の高低のある基礎音楽の上に被せる訳で、音程が違うとドリフの何だったかのコントみたいになってずっこける。その時に現れた救世主が音のエフェクトである「Pitch Shifter」! 三つ以上くらいずらすとやばい結果になるものの、1、2くらいずらして音量を上下したら何とか違和感なく役割を果たしてくれる(多分。

構成上要所で感情の抑揚を助ける音、私は構成音と呼んでいるけれども、これは曲の一部を抜き出して使う。ピッチが上ったりするいわゆるライザー的な働きをする短い音楽であり、これだけ単体で出ていることが稀なので、既成の一曲の一部を切って使うことになる。

ある程度明確なメロディーを持つ音楽については、かなり小さなボリュームで時々、または後半の盛り上がりに用いる程度。これは楽器がわかってもまあ構わない。今回は笛の音色を使ったりした。

。。何とかなるだろうという想定のもとで組んでみて、実際に見てもらって良さげなレビューをもらいはしたものの、さて次のレベルはとなると、これが限界だと思うんだな。これ以上となると、それは

  • 絵に合わせてオリジナルの曲を作る
  • 音を日本特有の音を素材にして自作する
  • プリプロの時点で音の計画を始める

とかだろうか。全く新しい研究が必要な要素である。

ミゾンセン

今回のミゾンセンのほとんどは先方が用意している。逆にミゾンセンがかなりよかったのでこちらも興味があったのもある。種々の提案を含めて引き受けた。見るに楽しく、日本固有であり、しかも高い技術のある感じ。評点はこれまで最も高いものの二流に近い三流だった。それというのはプロダクションデザインがいないからというだけかもしれない。ただ、ブツ撮りでは会関連作品としては初めてプロダクションデザインに近いクルーが部分的に参加している。全体的に先方の協力姿勢は非常に高く、とても感謝している。

ドキュメンタリー仕様であるため、大体は勝手に起こるアクションを追尾しながら撮影していたが、撮り外した場合はそうと言えそうな雰囲気の場合に限り、やり直しを要求した。インタビューについてはそのまま撮りっぱなしにしていたが、途中で気が付いて目のアップと手の動作を別撮りしている。ブツ撮りではデザイン担当に品物の選出と配置を任せ、撮影照明はvisual textureの工夫に集中した。ギンバルの電池が切れたので手持ちだったけどw。人物の屋外での撮影はその都度アクションを指定、これは物語映画の時と同じである。ロケーションは一部使用料を支払って敷地内で撮影している。

演出

演出はこれまでで最高、ただし二流に近い三流。第一回作品では助監督すらおらず制作の全てを監督がやっており、演出どころではなかった時代を懐かしく思うレベル。

ドラフトを何名かの同僚、クライアントに見てもらった三大感想は「かっこいい」「綺麗」「引き込まれる」。Pの一大感想は、「かっこよくて綺麗だが」という前提をおいた上で、「くらい」ですべて打ち消しであった。無論エピソードによって反応は違うものの、くらい(暗いのは大概背景である)というのは撮影照明の大前提によるものであり、これを否定すると全部がダメということにもなりかねない。ショットの明るさをあげるだけでは解決しないと思われる。適正露出をIRE30~50の間に固定しているのには訳がある。基本、絵が明るければ明るいほど刺激は強い。刺激の強すぎる絵は抑えが効かず、無作為で無制限な使用は作品の品を下げる。下品である。明るければそれだけショット内の情報量が増え、意図したショットの尺で意味が正確に伝わらなくなり、全てのバランスが崩れる。字幕を嫌う理由はそこにもある。Pは英語圏の人であり、字幕版を見ていることも見る側のバランスが意図したものとは少しずれた原因では無いかと思う。先方の感想をよく吟味した上で、解決策を提案するつもりだが、最悪、Pカットを準備してDカットとは全く違う作りにすることも想定している。このPカットは評点的にギリギリ三流かそれ未満に落ちる危険がある。

総合

全体的に使える限りの時間と労力を費やし、文字通り命を削って作った。この点前作、前前作と同様である。誰のために作ったかというと、見るひとの為であり、今回は広告なのでそれを見る人の映像体験が上質であること、そしてその製品を使いたくなるように考えを凝らした。その点独善的な作家根性はどこにもない(質感と使用感の疑似体験についてはいずれ別記事に書こうと思う)。商業であるため非公式だが、みなし第三回としてもはずかしくは無い。命を削らなければ時間を費やす価値すら無い。人生長くは無いのである。遊んでいる暇はない。次も同様に深みにハマって創作するつもりである。

評点としては10年計画の中で予定よりも9ヶ月くらい早く目標のスコアに達した。が、要素によってはこれ以上の成長の仕方がわからないものがあるので、この先多分頭打ちで総合点が伸び悩むのは予想している。問題解決に向けて研究が必要である。

感謝。