嘘と死|意識の暴走を止めるのは結局、死。
相も変わらず戦争反対を唱える人が多いようだが。反対したところでどうにかなる問題ではない。近年、一極支配に陰りの見え始めた我々の同盟国も、20年くらい前に戦争を始めた。同時多発テロの後に。その戦争は最近終わって、アメリカが負けた。しかもかなりあっけなく無残に。あの一連の戦争では、当時アメリカが嫌いだった中東の独裁国家が転覆させられた、大量破壊兵器を隠し持っているという言い掛かりの所為で。でもそれは見つからなかった。当時のイラク大統領、サダム・フセイン氏は、一方的な裁判にかけられ、死刑となった。あの時のことはよく覚えている。新年を迎える前に即刻絞首刑となり、処刑映像が流出した。覆面をかぶった連中が遺体を囲んで大喜びしていた。敗戦の将の醜態を晒すなどあってはならないって? これも戦争反対と同様の意味のない文句である。止めるものがなければ行くところまで行く。祈りに力はなかったようだ。
今回のロシアによるウクライナへの軍事行動は、当時のアメリカのあれに比べれば遥かに証拠が揃っているように思える。戦争開始のスピーチで露大統領が語った大義は論理的かつ明瞭だった。日本のメディアは西側の同盟国のスタンスに同調しているだろうから、どこもかしこもロシア悪だが、この手の争いに悪も正義もない。勝った方が正義である。ロシアがウクライナに喧嘩を仕掛ける理由がわからない、非合理的だ、頭が狂った、といった論調はやはり的を外している。理由? 生存に関わる問いに答えを返すのは損得ではない。合理性といった机上の空論は死の現実を前に何の力も持たない。これはロシアにもウクライナにも言えること、民族の自治独立か消滅かと言う問いである(伝統的価値観のために死ねるか)。そもそもウクライナが「合理的」に動いたなら、即座に戦争は終わったはずである。戦争が長びけばそれだけ人が死ぬのだから、早いところ切り上げて露の言うことを聞いた方が明らかに易い。ところがウクライナ大統領がやっていることと言えば、世界に向けてロシア悪を吹聴し、自分たちの戦争にこぞって参加しろと捲し立てている。ウクライナに味方すればロシアに対立することになるが、行き着く先は核戦争か? そんな迷惑千万な感情論に乗っかるのが日本人として果たして合理的なのか。ウクライナに味方しなくても核ミサイルは日本に飛んでこないが、ロシアに対立したらそう言うわけには行くまい。ロシアが核を使わないと言う憶測に明確な根拠はあるのか? 仮にロシアが負けるのなら、核を使ったあとか、前か? 前なら、なぜロシアは核を使わずに負けたのか。むしろその理由が知りたい。当事者にとって自分たちの命に値段をつけるのはそれこそ非合理である。有り金全部渡せば命を助けてやると言われて、全財産渡さない奴が果たして何人いるか?というお話。死やそれに繋がる項は故に合理の等式にバグを起こさせる。そのバグを防ぐための手段は一つしかない。それらの項を無視すること、ないものとして扱うことである。そして我々は嘘をつき、死を否定する。だが、我々は必ず死ぬ。その矛盾をどうやって補ってきたのか? そもそも、嘘をついているのはロシアだけではない。というより、アメリカを含む西側諸国の方がはるかに嘘が多いと、思ったことはないのか?
今回のロシアの行動を止めたかったのであれば、西側もウクライナも相手側に勝算ができないように現状維持を保つべきだった。ところが、有事に備えることを怠ると同時にその均衡を徐々に崩して行ったのはどこの誰か?近年の西側劣狂(列強)は一律お花畑化しており、その均衡を崩せばどうなるのか、ということを考えていなかったらしい。合理の等式から死を除外するからである。結果、彼らはどんどん戦争に弱くなっている。例えば脱炭素、あるいは原子力も否定して戦争に勝てるのか? 有事(死)はないものとするから、等式は嘘をついたまま不正確に演算を続ける。それでも我々は必ず死ぬから、結局は嘘をつかずに人を殺すのか、嘘をついて殺すかの二者択一ではなかったか。例えば、過去たかが20年の間で、アメリカを含む西側諸国とロシアではどちらが多く人を殺しているか? その答えは、西側に寄ればロシア、ロシアに寄れば西側である。今回のウクライナ問題における欧米メディアの一連の活況を傍目で見て、しらけているイスラム教徒は多いだろう。西側の「殺された人々」の人数に入っていない多くの人々である。そしてそれは、何もイスラム教徒だけに限られない。あくまで西側諸国の論理は、自分たちこそ生き残るべきであり、敵は死ぬべきであるという、ごく単純な価値観に基づいている。彼らのいう戦争反対、殺戮反対、というのは、自分たちの敵に対するそれではなく、敵が自分たちに対するものであり、その一方通行によって自分たちの勝利をより強固にするものである。損得に現を抜かし、死を忘れた我々日本人は、その明け透けな嘘をわかった上で追随しているのだろうか。世界が今ロシアを非難している、その世界に自分たちは入っていないかもしれないことに気が付いているのか。英語や日本語で触れる情報のほとんど全てが西側の価値観に基づいていることに気が付いているのか。この問いに正しく答えることができるなら、アメリカ人の多数が広島と長崎への原爆投下を正当化している理由も簡単に理解できる。
左派リベラルは現状維持をその結果に関わらず変えようとする性質が見え隠れする。とりあえず良いか悪いかはわからないがチェーンジという感じだろうか。最近同類の与太話を聞いた。これには今回のロシアとウクライナの話に共通項があった。死を無視したが故に悲惨な目にあった少年がいたらしい。栃木県の電車内でタバコを吸っていた巨漢を注意したはいいが、相手が暴力に打って出て重傷を負ったというもの。この場合、現状維持を壊そうとしたのは少年であったことに間違いはない。誰彼が悪いと思想を述べるのは簡単だ。嫌いな奴がいて、危なっかしい奴がいて、許せない奴がいるこの世界で、我々が平和に生きて行くために必要なのが現状維持、ステータスクオ(status quo)である。そらあ傍目に迷惑かもしれないが、そっとしておけばこちらに危害は加えない。そうやって均衡を保ちながら共存して行くのが世界である。もし我々が嫌いなやつをその都度やっちまおうとしたらこの世界はどうなるだろう。結果はバカでなければ感覚的にわかる。現状維持を壊せば争いが起こる。争いが起こればてめえが危害被るかもしれない、最悪死ぬのである。この少年はそれを知らなかった。なぜそんな簡単なことが分からなかったのか?それだけではない。争いが起これば当事者だけでなく、周囲の人々にも被害が出る恐れがあった。その巨漢が制御不能になって暴れたらどうなった? 凶器を持っていたら周りの人々が刺されていたかもしれない。この少年はそれらの問題をすべて自力で解決できると思ったから均衡を崩しにかかったのか?どうやらそうではないらしい。しかし、現状維持を崩そうとするなら勝機はあったはずなのだろう。そしてその勝機とは悲しくも、「注意すれば向こうは反省して行動を変えてくれる、何故なら自分は正しいのだから」という、甘えであった。このようにこの事件を考えた時、かの巨漢はどうやら場慣れした玄人だったように感じる。周囲の大人たちは助けず(割りに入ったら危害被る。賢い選択である)、友人3人は止めに入ったらしいが、この3人が怪我をしたとは私が読んだ記事には書いていない。ということは、男はあくまで自分に仕掛けて来た少年に的を絞ったらしい。当事者以外に話を広げないと言うのは、実に賢い判断である。何故男が暴力に出たのか? そらあ勝てると思ったからに決まっている。弱いものイジメだと男を責めるのは自由だ。そんなことで男は止められない。そして現状維持を壊してしまったのが少年だった。周囲の人間に被害が広がらなかったことは、少年にとっては単なる偶然だった。というか、この少年には当たり前の感覚が麻痺していたと言える。彼に死を無視させたのは、一体どのような思想なのか。死を無視した演算は、こうしてその嘘が破綻することによって現実の感覚に初めて戻る。意識の暴走を止めるのは結局死である。
露に異を唱える人々は、かの電車の巨漢に立ち向かったのだろうか。実際には乗客の一人も介入しなかったようだが、たまたまに違いない。自分を殺すかもしれない暴力に対峙し、立ち向かおうとする勇気のある人々だからこそ、我正義と威勢を張ってロシアを責めるのだろう。現実に脅威が目の前に差し迫ったら、黙りこくったり逃げたりは、まさかしないだろうと信じている。念をおしたいが、海を隔てた大陸のさらに向こうでの出来事だから、対岸の火がこちらには及ばないと高を括った上での空威勢ではないだろうな。ウクライナを助けなかったところでミサイルは飛んでこないが、軽率にロシアに対立すれば核が飛んで来ますよ。死を無視する連中が虚勢を張り続け、優勢を維持する限り、電車の少年のようにいずれ力に平伏し、なぜ自分がそのような事態に陥ったのか理解もできないまま負けることになるだろう(死ぬ)。その時「勇気のある行動だった」と褒めるはいいが我関せずの自称理解者たちは既にいない。とっくのむかしに手のひらを返し、強者に頭を下げ、同化を受け入れているだろう。生存するとはそういうことだ。そしてこういうやつらこそ実はまともなのである。
日本として、この争いに闇雲に加担するのはよろしくない。ウクライナの難民に手を差し伸べると同時に、逆にロシア人を差別しないこと。そして、あくまでこの世界のバランスを変えるかもしれない動力の最中で、自らの利益に事が運ぶように利用し動くべきである。西側に対立するのは不可能だが、かといって西側に盲従してロシアを全否定しても得はない。西側は武力によらない世界的な同化を進めているが、その理のアルゴリズムには常に嘘がある。等式の全ては死を無視して進む。西側の価値観によって死にゆく私たちの伝統はどうでもよいのか? ロシアが得にもならないことをしているとして分かったような口を叩いている人々は、かつて我々の祖先が国を守るために戦闘機に乗り、敵に自爆攻撃をしたことを責めるのか。我々の祖父母やそのまた父母が得にもならないことをして死んでいったことを笑うのか。
この国に必要なのは真の独立であり、そこに立ちはだかるのはロシアではなくアメリカである。世界の潮流で対立する巨大なパワーを敢えて利用しながら、機を組むべきである。自国の長期的利益を考え行動せよ。偽善に盲従するのは偽善である。同化するくらいなら命をかけて抗うのか? それも一つの選択だ。そしてその選択権は個人に帰する。何も考えずに西側に盲従してると、知らないうちに人を殺しますよ。
感覚を忘れたら、終わりじゃ(in 伊勢)
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