映画作家として
映画作家としては、2000年代後半のキヤノン5DMKII発表に始まる今日のデジタルシネマと、それ以前のフィルム映画の両方を学んだハイブリッド世代である。少なくとも、スタジオスケールとは異なる個々人の映画作家という階層においては、デジタルシネマの同世代は撮影照明、編集、音声、そしてミゾンセンの全てに大きな変化と技術革新を経験してきたことが大きな特徴であり、それらの変化を垣間見、体験し、会得してきた世代でもある。デジタルが機材の軽量化、高スペック化、そして制作費用の低価格化による少人数での映像制作を可能にしたことは言うに及ばず、彼自身もそうした制作スタイルにスキルを順応させてきた。例えば、撮影照明においては、デジタル技術の進歩による色やコントラストの「ルック」調整の柔軟化、高解像度化、スローモーションやタイムラプス、ギンバルやドローン、アクションカメラといったサポート機材の進化におけるカメラワークの多様化などを体験し、編集のデジタル化に置いては技術取得の初歩段階からノンリニア編集に親しみ、The Kikuichi Story trilogyに見られるような連続する短いショットのモンタージュで統一した一つの意味を語る手法を会得している。音声のデジタル化は、それまで録音・加工と言った多くの作業を専門家に委ねていたフィルム時代とは異なり、作曲以外の全ての工程を映像作家自ら行うことを可能にし、昨今のローヤルティフリーの音源提供サイトの繁栄によって、ミキシングによって新たなBGMや効果音の創作も可能にした。ミゾンセンにおいては、様々な視覚効果を施せるようになり、もともとそこになかったものを追加したり、あったものを削除したりもできるようになった。彼は、これら全ての領域で経験を積んでおり、10年以上にわたるキャリアで育んだ総合的な映像制作力は、今日の彼の作品群に広く反映されている。
撮影監督として、監督のビジョンに沿った柔軟な絵作り、作品作りを行える幅広い技術を持つ一方で、監督としては強い独自性を作品に存分に投影する。例えば、彼が自身の作品に求める共通したテーマの一つは自己犠牲である。合理主義、損得が至上であるこの世界において、しばし自己犠牲は無駄死を意味する。しかし彼は、大なり小なり、他人のために自らを犠牲にしていった人々に対して強い同情と感謝、尊敬の念を抱いている。その根拠となる彼の人生の出来事は明確ではないが、大きなイベントは十代中後半以降に集中しており、その最大の事件は実母との確執であった。とどのつまりは、彼の母親はその粘着的な愛をもって長きにわたり子を束縛し続けた。それからの解放を願った彼は、中学の時に、サッカー選手になる夢を叶えるため家を出たいと、母親に頼んだ。しかし、彼女はその願いを支援しなかったばかりか、妨害にさえ及んだ。彼のその時の願いは、母親による最後の自己犠牲であった。愛する息子を、その束縛から解放してほしいと。映像スタイルにおいては、技術的な万能性から幅広く多様なスタイルの使用によって、より効果的なストーリーテリングを実現することを至上とするが、例えばミゾンセンにおいて彼が頻繁に採用するのは自然、森、木々、枝葉、植物、花々と言ったものである。制作においては、作家として全てのスタイルへのこだわりが強く、よって撮影照明、編集、音、ミゾンセンの映画技術の全てに強いコントロール、または作意を及ぼすことを信念としている。例えば、音楽は作曲家に丸投げ、編集は編集に丸投げなどと言ったことは極端に嫌う。
映画作家として彼の特徴を形成する作品群は自主・広告を含めて以下の4作品である。
hotaka.d@gmail.com